(Charon、)

#a

深夜三時に解き放つ錠の音が始まり。
金属音、でも十分に
einsatz


#b

ゆく宛てを尋ねられたら
あなたの名前を唇にのせたいけれど、かまいませんか。
その唇のグロスの光に
躊躇いながらも
そっ、と降りた、花弁のように。


#c

視界の端にずっとちらついている芥子の花を愛した詩人に
手を上げる、左手。
詩人もやはり、左手を。
消えない傷とあたらしい傷を重ねて
詩句を交じ合わせる。
僕は、やっと素足で出歩けるようになったよ、と
彼は、あの花、歌っているよ、眠りながら、淡い、と
僕は、ええ、靴を持たないから、少女のような硝子細工を踏み潰したい、と
彼は、軽金属の天使ではなくただの天使に恋をしてしまった、と
そう云う意味合いの短詩を。


#d

菫の、色彩は。
ようするにこういった時間にあの宇宙から抽出され
緩やかに繊維にゆき渡るのだろうから
摘みはしないんです。
ただ触れるだけです、あなたにも、ただそれだけです。
そのふたつを、僕はきっと
永遠に守って
その先を
風や、
陽光や、
虫や、
誰か、
誰かに、託すのだろう。
禁じることによって実るものが何一つ無くとも
あなたは永遠僕の胸で穏やかに揺れるだろうから
かまわない。
でも今、ひとつだけ
その、
くちびるの色彩に触れさせてください。
指先で、
人差し指と小指、両方がいい。


#e

ヘッドフォンががなるのはロック、か。
その、音。
いいえ、これは無伴奏の、何番だったろう
チェロがごうごうやっているんだ。
気にしないで、
君も歌を続けてください、街頭。
僕は律動的に
歩くのが好きなんだ。


#f

ねえ、
ちいさな虫たちは、いま。
何していると思う。
琥珀色の翅は夜になると溶けてしまうと思うんだ。
さっき飲んだクランベリーウォッカの所為で
そんなことを云うのかもしれないけれど
聞いてくれますか、あなた。
あの翅はね、
キチン質と甘い甘い糖蜜、
それから
夢のようなリチウムで出来ているから
油膜のように色彩を遊ばせるんです。
僕が触れると水素になって
色を失うから、触れることが出来ない。
もうあんなに、
虹なのに。
いまは夜だから、
大体あの辺りに沈殿している。
ほら、小さな、S/ 1999j1の辺り。
熟さない木星の果汁が、滴るのを待っている。
僕には、クランベリーが、巡っている。
分けてあげても、
いいと思っています。


#g

裏返るよ、声。
あなたの名前を発音するのはとても難しいんだ。
僕の声は
どうしたら声になるだろう。
女でもないのに
ソプラノで。
沈黙をもって、あなたに呼びかける技法や奏法を
白紙の楽譜の只中で探しているんです。
五線譜に絡み取られて僕はそのうち
サーカスに売られてしまうかもしれないという危惧を抱いている。
でも僕は衛星だから
きっとそんな心配をしなくてもいいのかもしれない。
衛星だから、
声が無くともいいのかもしれない。


#h

ああ、漣。
湾岸線の燈火は、世界のやさしみを橙に染めて
発光しながら潮風に上手く乗る
その粒子は
僕の輪郭に沿って流れていきはしないけれど
別にいいよ、
この砂浜の砂礫は、
ありもしない素足を愛してくれるから。


#i

ねえ、あなた。
見上げてください、僕の指が指し示す方を。
土星は25時に沈んだけれど
いま見えるのは、やっぱり木星だよ。
S/ 1999j1もあの辺りだから、
虫達の翅の甘そうな匂いが潮風に混じる。
ねえ、あなた。
あなたにだけ聞いて欲しい。
僕はね、
冥王星の気持ちで、生きている。
僕はきっとシャロンだからあなたの眸には映らない。
けれど
紫煙混じりのしゃがれた声のあのロックスターが歌ったように
あなたは、時折、僕を歌ってくれるのだから
永遠、
太陽系の外にいたっていい、と
そう思っているのです。
だってそれって、愛
愛だから。
浸されて僕は、木星より早く熟れる
もう、落ちたってかまわない、dark matterの中に。
素敵な流星になるのを、
あなたはその窓辺で、きっと見ていて。
夢を、
いくつでも叶えてあげる。


#j

涙、が。
晴れ渡った夜空を流れる。
砂浜に、
零さないように、拭おう。
終止符には、まだ真夜中も浅いと
僕は思うのです。
もし、
僕に与えられるだけのかたちや音があるなら
クセナキス、あの人の譜面の上に
生まれたい。
あなた、
あなたはまずそれを指で撫ぜて、
それから、いつものように弓で弧を描いて
奏でてください。


奏で、て。