「機械天使」
男が、僕に触っている――。
見えないが。男にしては華奢であろう其の手には神経質そうにキチリと白い手袋が嵌められている。
僕の腰掛けている艶やかな黒椅子と対に簡素なパイプ椅子が在り。少し前へ、つまり僕へと身を乗り出すように掛けている男は、見えないが。やはり線の細かろう其の全身を黒い喪服に包んでいる。
男は葬儀屋であった。
男の世界に於いて、畢竟毎日が葬式で毎夜が通夜。そうして男は微かにも人間味の無い表情で毎秒の葬送を統べる。
件の男を、僕はよく知っている。
「あなたって人形みたい。あ、でも人形はまだ人間のカタチしてるだけマシ。だから、あなたはロボットね。あたし専用の隷属ロボット。ほらAIBOとかあるじゃん。手を叩いたら反応するの。そういう風にプログラムされてんの」
そう言うと女は二ツ手を叩いた。
数秒の沈黙の後に女は苛立ったように言った。
「ほらあたしが手を叩いたんだから。ギルビーズじゃなくてストリチナヤ」
買って来い、と、言うのだ。
女はキャミソールとショーツだけの姿で二人掛けのソファに一人だらしなく寝そべっている。
女の周囲3メートル以内には開かれた侭ただただ白を飽和させるスケッチブック。錫のチューブの中で囁く水彩絵の具。ガッシュ。または数種の錠剤。スピリッツの空き瓶を宿木に羽根を啄む針金で象られた銀色の鳥。其の鳥の眼球にされることの無かった選ばれなかったビー球達はフローリングに色彩を落としながら泣いている。傍らではキャラメルがニヤニヤ哂う。
女の。退屈しのぎの遊戯でしかなかった、短か過ぎた同棲。
同棲の部屋、と冠された遊戯室から、男は無言で出てゆく。微かにも何も何一つ人間らしい表情を浮かべることも無く。男はストリチナヤを
command されたのだからストリチナヤをやはり入手する為に起動する。
「本当につまんない」
言い棄てると女は口内にザラザラと、ザラザラとまさに音の鳴る七十程の錠剤を流し込みぬるい炭酸で其れを飲み下す。薬物が。女の胃でより過剰に作用する為のスピリッツを待ち望んでいる。
そのような日常が繰り広げられるなかに男が笑うことなどよもやなかったが、泣くことも嘆くこともまた等しくなかった。
遊戯室で女が。打っ棄られた畜肉のように生々しく、凝りもせず芸も無く赤い赤い血を滴らせながら朦朧とする日常。
そのような日常に挿入されるたまの深夜に男の表情を見る。
そういった夜のブラウン管にはB級のオカルト。其れか。まさかホンモノを!まさか!いやけれどしかしそうとしか思えない「モノ」が延延映し出されているような夜が確かに倦怠の日常に挿入される。
男の網膜に死体が、死体たちが青白く踊る。チラチラと踊る。
歓喜!其の表情に「コレ」は其れでも機械ではなかったか、まさか或いは。嗚呼、人間であったか。と、女は思いながら昏睡に落ちる。朦朧。
僕の中に記録されている其れら過去をリプレイする度に、今僕に触っているこの男はやはり人間ではあるのだ。と、思いもするが。やはり眼前の男には表情は無い。
僕は言う。
「何」
男は手袋越しに僕のあらゆる部位を確かめるように触りながら言う。
「まだ生きているんだね」
呆れる。
かくあるのだから呆れたように僕は言う。
「当たり前だ。だから俺はあんたと喋りもする」
男は目蓋を僅かに持ち上げた。
「死体は饒舌だよ」
静かな声だ。
今、思い出したように男の容姿を見るに、綺麗な顔をしている。
女性的とも言えるなだらかな稜線の中に其れでもしっかりと眉は男性の其れで美しい形をしている。切れ長の、両端でまさに此処こそが最上の。という具合に持ち上がった鋭敏な目尻と深い目頭の内に据えられた眼球が人間の其れとは思えない程に澄んでいる。邪気、悪気とは遥か無縁の其れに僕は時折思う。やはり本当に人間であったか疑わしい、これは人間とは違う何かもっと別の其れだ、と。
綺麗な顔をしている。白い肌は硬質に光を孕み人形のようだ。
人形やロボットだと、彼女は言っていたが、人形のようでも機械のようでも、目などはまさに。嗚呼、天使の其れである。
天使。其れを、僕は勿論見たことは無いがいるとすればこの男と同じ目を持っているはずである。
男は其の目で僕を見据え言う。
「早く死ねばいいのに」
男が、願望を口にするのを僕は始めて聞いたかもしれない。
死ねば。死ねばだと。何を言うか、其れよりも先ず願望を口にしたことに驚き僕は言う。
「何か、思うことがあるの」
男は言う。
「彼女は、いや今はあなただ。あなたは俺を受け入れない。少なくとも生きている間にあなたが、彼女が俺を愛することはキット無いからね」
アア――、と僕は思う。
「愛してはいるよ」
「愛しては、ね。でも恋して呉れはしないのだろう?」
其れは判り切っていることだった。
「ほらね。だから、だから死ねばいい。そうしたら、」
男は言って右手を持ち上げて其れを凝ッと見つめながら言う。
「そうしたら俺のしたいように出来る。始めて手袋を外して、あなたの。彼女の肉体に触れる、」
ア。少し表情を、僕は見たかもしれない、今。
そう目を瞠る僕に男は続けて言う。
「死体はミンナ俺の言うが侭だよ。彼女も、やっと俺の恋愛に喜んで応える。そして俺たちは初めて本当に愛し合うよ」
男は手袋に包まれた、見えないが。しなやかであろう女性的な指を二、三、屈伸させる。
「妙なB級見過ぎだよ」
其れだけ、其れだけではない。
男は、一般に推し量られて掲げられる<正常>とはかけ離れた世界に、生きているのだろう。知って、知ってはいたがなんて――。
なんてかなしい。
かなしいと感ずる僕を見て、浅い息を衝いて男は言う。
「俺は、彼女がよく言ったようにつまらない男だよ。詩、書けないしね。詩なんて。何度読んでも解らなかった。何度も解ろうと、したのに」
微かに見えたかもしれなかった表情はまた喪失、喪失のなかに喪失。微動だにしない喪失でしかないような面持ちで、男は続ける。
「俺は凡庸で、でも凡庸に正常だったよ。あなたたちのようなマイノリティではなく極めて其処彼処に有り触れた正常だったよ。かつては」
次に男が発するであろう言葉を、僕は安易に想像出来た。だから、だからもう何処かが痛い。痛くて、穿たれる事を解っていて構えた。男の声が、静かな声が――、
「彼女に、今はあなた。あなたに壊されるまではね・・・、」
僕を。
やはり穿った。
「痛いね、」
言う僕に男は返した。
「痛いかい。ジャア、だから死ねばいい。死体は痛覚を感じないし俺はこの職に就いてもう随分死体の扱いが巧くなった。あなたの、彼女の死体は今までに扱ったドレよりも丁寧に、愛してあげる」
そう言うと男は初めて僕の前で笑った。
「今度こそ俺と恋愛をしようね」
とても、
とても優しい笑顔だと思った。やはり天使ではなかったろうか、などと思わされもする。
稀少なもの程尊いとされあらゆるモノが高い値で売買されたりするように。また恋愛をする人間がつれない想い人の得られぬ愛を、其れでも彼処から汲み取っては自身の命のように深く強く抱き締めて止まないように。男の笑顔は余りにも其れで、
僕を。かつての彼女を殺人するには十分過ぎたので、僕は、彼女は。
ア――、今死んだ。
歓喜する男が、白い手袋を外して僕に触れる。
慣れた手つきで僕を取り扱う全ての行動が、もうずっと以前から計算され切っていたかのようにすみやかに行われていっていて、初めて素手で僕の肉体を愛する男はかつて無いほどの表情に溢れていたが何故か機械のように感じた。
この男は、機械の天使だったんだと僕は始めて結論付けた。
男によって僕の葬儀が執り行われていて、僕は屍姦されている。
この肉塊のなかに、件の男に向かう恋愛が展開し始めたかどうか、僕はまだ覚束無いでいる真新しい死体だ。